Ta cuisse







 きっかけは、ほんの些細な事だった。

「花殿の服はかわいいよな」

 耳に飛び込んできたのは、兵士達の何気ない会話。
 普段なら気にも留めないものだったが、出てきた名前に思わず耳が反応した。
 その名は、愛しい恋人のもの。好きになってから何度もすれ違い離れていって、先日ようやく自分の手の中に戻ってきてくれた女性の名前だった。

「あーかわいい! あの足がいいよな」
「うんうん、あれはいい。花殿の国ではあれが普通なのだそうだが、羨ましい話だな」

 兵士の言葉に思わず頷きそうになるが、それをするわけにはいかない。彼女の足はすでに自分のものなのだから。
 苛立ちを隠さず、兵士達によくわかるように柱の陰から姿を出すと、案の定休憩していた彼らは一様に驚いた表情を見せた。
 
「……」

 そして無言の圧力をかけると、彼らは口の中で小さく言い訳しながら脱兎の如く逃げ出した。
 慌てふためくその姿を見つめながら、仲謀は溜息をつく。
 大人気ないとは自分でもわかっている。それでも、彼らの目に花の足がどう映っていたかを考えると腹立たしくてならない。
 確かに、あの服はかわいい。彼女のすらりとした、それでいてほどよい肉付きの太腿が見えるあの「すかーと」とやらは、本当にかわいらしいと思う。
 少々落ち着きのない花が走り回っていると、ひらひらとはためくあの裾を見ていると胸が高鳴った。
 しかし、それを見て良いのは今や自分だけのはずなのだ。

「……気にいらねぇ……」

 呟いた声は、自分でも驚くほど低いものだった。

「あ、仲謀! ここにいたの?」

 彼の声が聞こえたのか、先程の兵士が逃げて行った方向とは逆の方から、今まで頭の中を占めていた姿がひょっこりと現れた。
 やはりその裾は軽やかに踊っていて、彼女の足を美しく彩っている。

「仲謀?」

 思わず見とれていると、近づいてきた花が不思議そうに顔を覗き込んだ。
 さらりとした髪の毛が仲謀の目の前を掠めると、彼女の香りが鼻腔をくすぐる。
 ――なんでこう、やたらとかわいいんだ。
 口には出せない思いを心の中で叫んだその瞬間、ふといつもと違う場所に目が釘付けになった。
 いつもはきちんとしめてあるはずの胸元が、今日は妙に開いていた。
 結わえてある「りぼん」もゆるく垂れ下がり、彼女の肌の色を際立たせる。

「……何で、そこ開けてるんだ?」
「え? ああ、だって今日暑いじゃない」

 確かに空は綺麗に晴れ上がり、いつもよりも気温は高い。しかし、だからといってこんな格好をすることはないだろう。
 花は気付いていないかもしれないが、仲謀の位置からは彼女の胸の谷間がうっすらと見えている。
 巷の歌妓よりはものすごく控えめな見え方ではあるが、それでもそれを商売にしている女がするのとは違う。
 加えて彼女の胸が見た目よりもあるということは、仲謀だけが知っている事実でもあるというのに、これでは皆に公表しているようなものだ。

「暑くてもしめとけよ。あと、そのすかーとも短すぎるんじゃねぇの?」
「え、何で? 今までそんなこと言わなかったじゃない」
「うるせぇ。やらしいんだよ、その格好」

 直視出来ず、視線をそらしたままそう告げると、花がむっと顔をしかめたのが視線の端に映った。

「私の国ではこれが普通だよ。前も言ったけど、やらしいって思う仲謀がやらしいんだよ」
「……ん、だと……」

 花の言葉に、かちんとくる。頭の隅では、このままでは良くないと警鐘がなるが、それを止める術は持ち合わせていない。

「どう考えたってやらしいだろ! そんな太腿見せてたら触りてーってなるだろ!」

 しまった、と思ってももう遅かった。出てしまった言葉はもう元には戻らない。
 目の前の花は、見る見る顔を赤らめていった。

「さ、さわり、たい、の……?」

 震える声で呟かれた言葉に、仲謀の顔も赤くなる。
 次に言うべき言葉を探すが、全くなにも頭に浮かばない。ともすれば「触りたい」と口走りそうにすらなる。
 健全な男になんて事を言うんだと心の中で詰りながら、仲謀は湯気が出そうな顔を隠すため踵を返した。
 今彼に出来ることは、これ以上の事を口走らない為にここから逃げ出すことしかなかったのだった。





「……やべー……次どういう顔で会えばいいんだよ……」

 自室に逃げ帰った仲謀は、寝台に突っ伏し悩んでいた。
 確かに花の格好は扇情的だったが、自分が過剰に反応しすぎたという自覚はある。
 謝らなければならない事もわかっていたが、それをすると自分の欲望を肯定するようで気がひけた。
 花と気持ちを通わせるようになってから、自分自身がうまく制御出来ない。これではいけないと思う反面、彼女を自分だけのものにしてしまいたいという気持ちは更に募るばかりだった。

「……仲謀?」
「!」
 
 物思いにふけっていると、扉の外から遠慮がちに声がかけられた。
 その声が誰かなど、考えなくてもわかる。

「あの、ね……。さっきはごめん。ちょっといいかな……?」
「……入れよ……」

 何でおまえが謝るんだよと心の中で呟くと、扉が静かに開き花が顔を覗かせた。
 その姿を直視出来ず、寝台に座り込んだ格好のまま視線を下げていると、花がこちらへと近づいて来る気配を感じた。
 しかし、いつもなら軽快な音をたてるはずの彼女の足音が、妙に静かなことに気付く。
 
「仲謀……」

 恥ずかしそうなその声に顔を上げれば、髪を綺麗に結い上げこの国の衣装を来た花が、はにかんだように笑っていた。
 
「……花、おまえその格好……」
「どう、かな……、ちょっと貸してもらったんだけど、変じゃない?」
「や、かわいい……」

 零れ出た言葉に慌てて口を閉じるが、花にもしっかりと聞こえたようで、彼女の顔がまたしても赤く染まっていた。
 どんな格好をしていても、彼女が可愛らしいという事に変わりはなかったのだ。

「あのね、仲謀が怒るのもわかるかな、と思ったんだ」
「え?」
「私、この世界に残るって決めたのに、いつまでも制服着てたでしょ? だから……ごめん」
「ああ、そんな事か」
「そんな事?」

 聞き返された言葉に、慌てて首を振る。
 どうやら花は、先程の仲謀の言葉はただの欲望からのものではなく、この世界に馴染まない事を怒っているのだと解釈したようだった。
 仲謀とて、以前からの服を着続ける花に、この国の服を勧めた事はあった。しかし、その都度彼女は「動きにくい」と言っていた。 
 彼女のいつもの行動を見ていれば、それはよくわかっていたからあえて強制はしなかったのだが――。

「この国の服も、似合うと思うぞ」
「本当? ふふ、ありがと」

 嬉しそうに笑う花を引き寄せ、抱きしめた。
 服装も変えこの国の人間になると言ってくれた、花のその気持ちが嬉しかった。
 唇を重ねると、何だか新鮮な気までしてくる。
 何度も口付けを交わしたというのに、服装が違うだけで気持ちまで新たになる。

「仲謀、大好き……」
「あんまりかわいいこと、言うな……」

 二人で笑いあい、そのまま寝台へともつれこむ。
 これで彼女の体を他の人間に見せなくても済むと仲謀が安堵したのは、勿論花には告げられることはなかった。
 ただ、彼女の「すかーと」姿が見られなくなることを、仲謀がほんの少し残念に思うのも、また動かし難い事実でもある。
 それを彼が気付くのは、まだ後の話だった。
 








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